何に飢えているのかということ。

ワイドショーでおなじみの古市憲寿氏の「平成くん、さようなら」という小説、図書館で予約していたら順番が来たので読んだ。薄い本なのですぐ読み終われるが、そんなに面白くないので時々他の本を読んだりしていた。だからといってまったく面白くないわけではなくて、そんなに退屈な小説ではないのだけど、正直なところ、こんなもんお金出して買えるか!というのが一番の感想だったので、お察しください。
なんというか、必死で今どきの感じを出そうとしていて、逆にもうダサすぎてヤバい感じ。Uberでタクシーを呼んだ、レモンが切れたのでAmazonフレッシュでオーダーした、ルイヴィトンの(下着の)パンツ、アランデュカスのチョコレート、アンダーズのバー、ケイコニシヤマのワンピースなどとブランド名を必死でいっぱい出していて、おしゃれでハイソででも虚無な若者を必死のパッチで表現しているのが、大昔の、はるか昔の、わたしが10代だったころの(すげー昔じゃん!)田中康夫と何ら変わることがなく、あるいは村上龍?あるいは山田詠美?その他の上手な人たちの模倣のようで、あるいはお上手ではないアイドル小説家としてちやほやされた椎名桜子のようで、読んでいていこっちが恥ずかしい。現実の商品名、ブランド名は出せば出すほどダサさが充満し、瞬く間に腐敗臭を漂わせはじめる。上手にちりばめたら風俗的資料にもなろうけど、そんな高尚なものでもなさそう。文字数を増やすために、ページ数を稼ぐためにブランド名の羅列をしているとすら思える。もっとも、古市氏の小説が100年残るものではないのでそこは心配しなくていいところだけど。そしてセックスの描写も一生懸命書いているけど、まったくエロくないというか、なんか書かされている風で、もしかして古市氏は童貞?と思ってしまったよ。
死にゆく飼い猫と安楽死を望む平成くんの対比、生とは何か、死とは何か、そういうことをテーマにしているようなおつもりのような感じで、こんなもんで芥川賞候補?と言いたいけど、芥川賞はそもそも新人賞的なポジションなので、粗削りな若手の作品に賞をくれてやるものなので、それはそれでいいと思う。だいたい芥川賞直木賞も、「出版社が本を売るために作った売らんがための賞」なのだから、受賞してもクソなんて作品は山のようにあるし、権威なんてないのに、勝手にマスゴミが権威があるかのように騒ぎすぎているだけ。特に新人賞的な要素の強い芥川賞は、受賞したものの、お前誰状態になる作家は多く、伸びると思って期待して賞をくれてやってもそのまま自滅する作家も多い。古市氏はそこまでひどくないので、まずまずではなかろうか。
ここまでぼろくそに書いておいて、まったく面白くないとは言わない。最後どうなるんだろうという興味だけで引っ張ってくれているので、偉いものである。最後は、まあ、そうよねえ、こういう感じしかしょうがないよねえ、という曖昧な、読者に結論を投げる形式でお茶を濁していた。この手の小説はしょうがない。ざっくり言うと、ひざ下どころかくるぶしまでの深さしかないプールみたいなものだった。
なんか話題先行だなあ、古市氏が炎上タレントだから話題になっただけだよなあという感は否めない。でも、まったく期待していなかったので、こんなもんかなと思うし、最後まで気になって読み終えることはできた。ただ、古市氏の運の良さには感服する。どんな神様、あるいは悪魔に魅入られているのかというほど。

並行して読んでいたのはロクサーヌ・ゲイというタヒチアメリカ人女性の手記で、「飢える私 ままならない心と体」とうエッセイ。この人の「むずかしい女たち」という小説を読んで興味を持ったのでエッセイにも手を出してみた。実は、「むずかしい女たち」はわたしにはつまらなくてギブアップだった。難しいというよりめんどくさくて鬱陶しくて退屈で、設定が「レイプされた過去があり、カレシともどうもうまくいかない」という面倒な女の話だった。だけど、この小説を書いたロクサーヌ自身がレイプ被害者だったと知って、手記を読んでみたくなったのである。

ロクサーヌの小説は退屈で、はあ?という感じで読むのも退屈だった。古市氏の小説の方が楽に読めて、結局どうなるんだろうという興味をひかれる部分があった。でも、古市氏の小説はしょうもないし、2年後ブックオフで10円しか値がつかないだろう。5年後経ったらごみにしかなっていないだろう。だけど、ロクサーヌの小説は、もっと違う意味を持っている気がする。わたしにはまったくもってつまらなかったけど。レイプを扱った作品だからって意味ではない。
そして、ロクサーヌの苦悩や彼女の人となりを知りたいと思うけど、古市氏の思想信条(あるんだろうか?)を知りたくもないし興味もない。人となりなんてもっと興味がない。この差はいったい何だろうか。古市氏のことが嫌いと言うほど嫌いではない。テレビでたまに見かけると、いらんことを言ってくれるんじゃないかと楽しみにしている。そこはホリエモンと同じ炎上芸人として機能していて、利いた風な口をきく退屈な他のコメンテーターよりはまし。だが、だからといって彼の頭が良いとは全く思わない。炎上芸を見せてくれないかと期待しているだけだ。

なぜか最新作から入ってしまったのでそこからさかのぼってロクサーヌの著書を読むことになったが、彼女が唱えるところの「バッド・フェミニスト」の思想には甚く感銘を受けた(といってもインタビュー番組を見ただけなので、著書も読まねば)。フェミニスト業界は今も渋滞中だ。どこまでがフェミニズムで、どっからが差別で、どっからが我儘で、どっからがごり押しかよくわからない。それにロクサーヌは応えてくれている。そう、ダメなフェミニストでもいいじゃない、と。

平成が終わるから死ぬとか言っているし、遺伝的な目の疾患なんていう話でぐずぐず言っているブランド物に囲まれたおしゃれカップルの話では心は揺さぶられないけど、ロクサーヌの叫びはわたしを揺さぶる。それは単なる好みの話で、わたしが古市氏のことを胡散臭いと思っているからだろうけど。彼に対する感想が、小説を読んだら変わるかと思ったのだけど、変わらなかった。結局のところ、彼のことは好きでも嫌いでもないといったところ。次回作を読むこともなさそう。彼自体が退屈だ。でもロクサーヌのことは、当分目が離せない。

読んでどうなるものでもないのだろうけど、とりあえずわたしは読む。読まないとどうにかなってしまうかのように、追われるかのように。そんなに枯渇していても、しょーもねー!と一蹴してしまうのだから、図々しいものだなと思わずにはいられない。