THE PROMISE

トルコによるアルメニア人大虐殺を描いた映画を見た。

うぬう。

こういう問題は誰の目線で描くかで、まったく違った様相を見せる。一応、トルコがアルメニア人大虐殺を行ったということになっているが、トルコはいまだ認めていないし、当然謝罪も補償もしていない。いきなり何もないところに虐殺はないので、長くくすぶっていた民族紛争やら国境問題などが絡み合って爆発するので、こちらとしては何とも言い難いが、でも、どんなに問題があっても、民間人を皆殺しみたいなことをしたら正当性は失われる。どんなにアルメニア政府がクソで嘘ばっかりついたとしても、民間人を殺した時点でアウトだというのは間違いない。おじちゃんおばちゃんたちが畑を耕し、牛を飼っているところに攻め入って殺しに殺しまくっていたら、そこに正義なんかあるわけがない。そこに至るまでのことがわからないのだが、とにかく一般市民を皆殺しに正義はない。この辺の所ををトルコ政府ははっきりしてほしいのだが、うやむやなままである。

そんな時代に翻弄され、愛する女性に翻弄され、なんだかもう何が何だかになった主人公が医学生のミカエル君。貧乏なので村のお金持ちのお嬢さんと婚約し、彼女のお父さんからお金を出してもらってイスタンブール医大へ進学。そこで出会ったのがアメリカ人ジャーナリストのクリスと、クリスの恋人で同じアルメニア人のアナ(若いころのウィノナ・ライダーに似た美人。魅力的で尚且つ優しくて良い子)。ミカエル君とアナは強くひかれあうが、お互い大事な人がいる。そんな中、トルコがアルメニアに進軍、ミカエル君は兵役を運よく逃れたもののトルコ軍に捕まり山に送り込まれ、明日の命の保障もない中強制労働の日々となる。このまま冬になれば凍死は必至。そんなある日、同じ強制労働をさせられていた仲間の身を挺したトルコ兵に対する抵抗により、ミカエル君は脱出する。道中いろいろな目に遭いつつも人々の好意でなんとか生まれ故郷にたどり着くも即いいなずけと結婚して、山奥でひっそり暮らすよう言われる。別に彼女のことが嫌いなわけじゃない。でもアナのことが気になるミカエル君。そんな彼をたしなめ、結婚させる母。まあ、これは当然だろう。婚約者に落ち度はないのだし、医学生になれたのは誰のおかげかと言うことを考えれば当然。そして約束を受け入れ、妻と仲良く山で暮らし、新しい命の誕生の日を心待ちにするミカエル君だけど、そんな田舎の街にもトルコ軍はやってきて、村人は皆殺しの目に遭うのである。

アルメニアの教会で、孤児たちを他国に逃がすために働く牧師さんやクリス、アナと再会できたミカエル君だが、お母さんは瀕死の重傷、親戚の子供が一人生き残っただけで、父も妻もそのおなかの子もぶち殺されて、村人の死体は川べりに打ち捨てられているありさま。みんなで山を越えて逃げるももはやこれまでかと思った時、同様に逃げてきた他の村の人たちと共同で決死の抵抗をつづけ、最後の最後でフランス軍の助けを得てアメリカに亡命する。

この最後の最後に、愛するアナは亡くなる。クリスと言うカレシと愛するミカエル君との間でどうにもならないアナは、ここで亡くならないと後々揉めるわな、というところである。クリスもいい人で、ミカエル君とのただならぬ間のアナを責めるでもない、ミカエル君に意地悪するでもなく、同志としてきちんとつき合う。切なくて苦しいだろうに、誰のことも責めないクリスにはあっぱれとしか言いようがない。それから、ミカエル君が軍に入隊しなくていい様に取り計らってくれたトルコ人エムレ君が一番いい人。こんないい人がトルコ軍にもいるのである。しかし、エムレ君は、クリスがスパイとして死刑になるのを阻止するためにアメリカ大使館に密告してくれて、クリスは危機一髪解放されるが、そのことによりエムレ君は銃殺になるのである。ああ、一番いい人なのに!と残念でならないが、軍人としては当然。敵国に情報を売ったのだから、どの国でも死刑当然となるだろう。でも、こんないい人がこんな目に遭うなんてあんまりすぎて、苦しくなる。だから戦争しちゃダメなんだ!処刑されるときのエムレ君の表情は、見ていて非常につらい。あきらめきった顔ではない。なんでだよ、なんでこんなことになったんだよという顔である。エムレ君にしてみれば、そうだろう。ああ、なんてこと!

こうしてミカエル君はアメリカでお医者さんになり、ただ一人生き残った親戚の女の子を養女にし、彼女が結婚するまで父として彼女を立派に育て上げた。クリスはスペイン内戦の取材中に亡くなっていて、ミカエル君の残りの人生は、おそらく、アナに対する、クリスに対する、妻と子に対する贖罪の日々なのではないだろうかと感じずにはいられない。誰とも結婚することなく、子供を育てることだけに注視し、そしてアルメニアに複雑な思いを抱きながら。

当時の風習や風俗、お洋服や食器、食べ物が出てきて、ロバで旅立つ姿や、つつましくも素敵な婚礼の様子などが素敵な映画だった。垣間見られる貧しい生活は、どこか懐かしいような、うらやましいような気すらする。それにしても、人はなんて罪深いのか。クリスもミカエル君も罪深い。アナも罪深い。あの人もこの人も、トルコ軍だけではない、人は罪深い。アルメニア人虐殺は許されることではないが、アナやミカエル君の裏切りは許されるのか?許されないとしたら何が?気が変わる、好きな人ができることって、許されないのか?裏切りなのか?裏切りは許されないのか?それでもクリスは許すも何も、受け入れたが、それじゃダメなのか?それではだめなのか?トルコはアルメニアを皆殺しにしなきゃいけないのか?しないという道もあったのではないか?しないからって、何か問題はあるのか?そして虐殺をして得たものはなんだったのか?そんな犠牲を払っても得るべき素晴らしいものを得たのか?それで満足か?

アルメニア人大虐殺については、5年ほど前に「105歳の料理人ローズの愛と笑いと復讐」と言う小説を読んで少し知った程度である。村人は殺され、若くて美人のローズは敵兵の愛人となり生き延びて逃げ延びて料理人になるも、復讐しまくるババアとなる。そのためならナチスにだって媚びを売る真似をするし、なんだってありのババアとなる。人を殺すのもいとわないローズババアの快進撃が描かれている、滑稽で悲しくて力強い話だったが、個人規模の復讐劇は爽快で、国家規模になると賛同できなくなる。なぜ人は殺すのか、なぜ人は許せないのか、なぜ人は人を殺したいのか。復讐するのは正義なのか。

トルコにはトルコの言い分があるだろう。アルメニアにはアルメニアの正義があるだろう。だけどこんなこと、もう誰もしちゃだめだ。嫌いでも、ムカついても、無視していいから、殺しちゃだめだ。手を出しちゃだめだ。仲良くしろなんて言わないから、手を出しちゃだめだ。復讐しても意味はない。でも復讐自体に意味を抱く人にとっては、復讐は当然の行為。生きて残ることが復讐というミカエル君に、明るい未来や楽しい毎日はあったんだろうかと、考えずにはいられない。復讐すると考える、生き延びることこそが復讐ととらえること自体が不幸なんじゃないのかと思わずにはいられない。そんなにやり返したいのか、人間は、と思わずにはいられない業の深い映画でした。晩年のミカエル君の苦悩に満ちた顔は、アメリカにわたって豊かな暮らしを築いたとは思えないほど、暗く険しい表情であった。それがいつか違う気持ちに変わるとき、もしかしたら、次はアルメニアがトルコに進軍し、皆殺しを図るかもしれないのである。人ってそういうものなんだろうか。どっちにも正義はないが、映画にはアルメニア政府の対応が詳しく描かれていないので、なんだか一方的にトルコが攻めてきて皆殺ししただけのようなのが気になった。そんな映画でした。