グレるほど恵まれてません。

高校一年の時、親が離婚した。と言っても父親と呼んでいた人はそもそも赤の他人のオッサンだったので、ふーん、あ、そう、という感じであった。前々から不穏な空気は家庭に流れまくりで、離婚する前からその人は家に帰ってこなくなり別居しているみたいだった。離婚すると聞いてもショックじゃなくて「おお、そうかいそうかい」とせいせいしたところであった。その時父親と呼んでいた人も結構なクソ人間で、うんざりしていたので丁度よかった。この人のクソエピソードはおそらく多くの人が驚愕するレベルのクソっぷりなので、いつか書こうと思う。震えるぞ、マジで。

子供の考えはそこまでで、よく考えたらポンコツでも一家の大黒柱がいなくなり、母も転職したものの生活は苦しく、見栄をはって入った私立の女子校のなんやかんやらは重荷だったであろう。だが、大黒柱がいたときもまあまあ貧乏な家だったので、そもそもなんでそんな学校に入っちゃったんだか。分不相応な進学先と親戚の人に言われてムッとしていたが、今思うと本当にそのとおりであった。

そして丁度年齢的にも更年期の始まりみたいな40代半ばを迎えた母は、もともと気が短くて気が荒かったのだが更に気が荒くなり、わたしはそれに恐怖した。いつもいつも気の荒いオバサンではなくて、機嫌のよいときはおもろい関西のオカンという感じで楽しい人なのだが、一度機嫌が悪くなると、ものすごく些細なことでもカーッとなって人を罵りまくる。え?こんなしょうもないことでここまで?というほど怒り狂うので、わたしはその母の責めたてる言葉に恐れおののき、過呼吸になったり、円形脱毛症になったこともある。当時は過呼吸はあまり知られていない病気だったので、当初てんかんの発作じゃないかと疑われて脳波の検査までされたほど。そんな症状が出ていても、母がわたしに下した評価は、「あんたってマイペースで、自己中心的で、図々しくて図太いわよね(笑)」であった。なんでやねん。

そんな母の機嫌はどんどん悪くなり、わけのわからんことで罵られたりする毎日であった。そこに、別れたはずのその二番目の夫だった人がちょいちょい探りの電話やら訪問してくる。母に新しい男ができたかどうかをわたしから聞き出すためで、わたししか家にいないときにやって来る。母の近況を話すと5,000円ぐらいの現金がもらえるので、ありがたく頂戴しておいた。だいたい当たり障りのない話しかしないし、もしも母に新しくカレシができたとしても、わたしが口を割るわけがないのにといつも思っていた。わたしはそこまでバカじゃない。そんなことを言えばまわりまわって自分がどんな目に、母から遭わせられるかということぐらいわかっている。いつも適当なそれっぽい話で二番目の夫だった人に満足を与え、わたしはそのお話代として5,000円をいただいていた。元祖JKビジネス!そのうちその二番目の夫だった人にカノジョができたようで、うちにやってこなくなり、母に対する執着も薄れていった。そんなころ、なんとなんと!!

母にカレシができた。

正直、舌の根も乾かぬうちにというか、股の付け根も乾かぬうちにというか(あれ?下ネタ??)、懲りない女だなあと苦笑いであったが、別に母親にカレシができてもできなくてもどうでもよかったので、何ら文句はなかった。勝手にしてくれて結構である。どうでもいいと思っていたら、更になんとなんと!!

再婚したいと言い出した(正確には再再婚)。

正直、何回結婚したら気が済むんだよ、お前は日本のエリザベス・テーラーかっ!と思ったが、もちろんそんなことはおくびにも出さなかった。「お母さんがいいと思った人なら、わたしは賛成だよ(にっこり)」と100点満点の回答をしておいた。当たり前である。もしも反対でもしようものなら、のちのち、どんな仕返しを母からされるかわからない。自分の進学とか就職などで反対されたり嫌がらせをされたりするかもしれない。というか、多分される。母は、復讐が大好きで公言して憚らない。だからそんな人の行動を反対するなんてこと、できるわけがない。それともう一つ、母子家庭は限界を迎えていた。とにかくお金がない!更年期で母の機嫌が悪い!母が再再婚をすることによって、これらが一気に解決するかもしれないとわたしは一瞬で考えたのである。卑しい考えだが。

残念ながらわたしの考えは甘かった。引っ越しして新しいその三番目の夫と一緒に暮らすようになっても、母の機嫌の悪さは治らなかった。というか、一層恐ろしさを増したようにも見えた。よく考えたら当時、純度100%のJKだったわたし。ブスはブスなりにそれなりにオッサンの心を揺さぶるセブンティーンである。そしていくら美人でちやほやされていたと言っても40代半ばの更年期のオバハン真っただ中のオカンにとって、目の上のたんこぶというか、邪魔な小娘であろう。わたしはまったく気づいていなかったが、おそらくその三番目のオッサンが、わたしを目で追っていたこともあったろう。忌々しかろう、JKに目を奪われる男の姿を見るのは。わたしは色っぽい感じとか美人とは真逆の、アホっぽい感じのお色気ゼロなJKだったのが不幸中の幸いではあったが、オッサンのスケベ心がそれで収まるかどうかは、知らん。

高校3年生になったばっかりの頃、新しくクラスメートになった子たちと学校帰り、お茶して帰ろうか?ということになったことがあった。いつも一緒の友達とは違う子たちと話をしていて、自分の母親が怖いんですけどーという話を振ってみたが、「えー、そう?うちのお母さん、優しいよ」なんて言われてしまって撃沈であった。なんだよ、みんなんちのオカンは優しいのかよ!「いいな。わたしは怖い。家に帰りたくない」なんて言ってみたが、みんなの顔には「?」が浮かんでいて、何のことかわかってもらえていない感じであった。名門女子校は家庭環境もよろしいようで、うちとは大違いである。

そのころ母は、勤め先が毎週木曜と日曜がお休みであった。木曜日、学校が終わって家に帰ると、三番目の夫が帰って来るまで母と二人っきりの時間がある。怖い。特に朝から母の機嫌が悪かった日などは帰りたくない。その日は丁度木曜日、母の機嫌の悪い日だったので、なかなか家に帰りたくなくてぐずぐずしていた。でもみんないいおうちの子なので、夕飯の時間ぐらいには帰る。わたしは中心部に住んでいたので30分程度で家に帰れるが、郊外の豪邸から通っている子もいて、4時すぎには解散となったと思う。

いやいや家に帰ると、鬼の形相の母がいた。何やら機嫌が超悪く、夕飯の支度をしていた。帰ってくるのが遅い!と帰って来るなり怒鳴られた。おそらく5時ごろには帰宅したと思うのだが、うちは夕飯までには帰らないといけないという門限だったので、特に問題はないと思うだが、機嫌の悪い母にそんなことは通用しない。「掃除当番だった(ので帰ってくる時間が遅くなった)」ととっさに嘘をついた。「掃除のやり方が悪いということでやり直しをさせられていて特に遅くなった」と嘘をついたのである。

「嘘つけ!」と母に言われたので、ま、そのとーり嘘ですけどね!と思いつつも、一度ついた嘘は死ぬまで貫き通さねばならない。「本当だよ」としれっと答えたが、更に嘘をつくなと罵られた。「だって本当のことだし~」と言い張ったら、「今から学校に電話して確認してやるからな!学校の電話番号教えろ!」とまで言われた。ここでひるんだら嘘をついたと白状するようなものである。「すれば?先生の名前は高橋先生。きれい好きだから掃除には厳しい先生」と言って、生徒手帳に書かれてある学校の電話番号をすんなり教えた。目の下を赤くして鬼の形相でわたしを睨みつける母は、考えあぐねているというか、わたしを推し量るというか、嘘かどうかを見極めているようであった。負けられない戦いがある!なんて思いながら、わたしは平静を装い、電話番号を差し出した。母は電話をかけるわけがない。ふん、わたしの方が一枚上手だ。

うちの母は見栄っ張りで、特に家庭内でもめているとかを人に気取られたくない。そして自分は良い母親だから親子関係は良好だと信じたい人間だ。そんな人間が学校に電話して、「うちの子がこんなこと言ってましたけど~」と聞けば、恥をかくのは母だ。わたしの言う通りお掃除のやり直しだったとしたら、子供の言うことが信じられない状況にあると告白するようなもの。わたしが嘘をついたということが判明したら、このお母さん、娘に嘘つかれてやんのーと、これまた学校側に知れ渡ってしまう。どっちに転んでも恥をかくのは母である。だから電話するわけがない。

はたして母は電話をせず、血走った目でわたしを睨みつけて忌々しそうにキッチンに戻っていった。

嘘はつく奴が悪いのかね、つかせる奴が悪いのかね。なんて独り言ちてみるのだが、だからといって木曜日は一度きりで終わりではない。来週も再来週も木曜日はやってくる。そして家に帰りたくない木曜日は永遠のように続く。毎週どんな言い訳を考えてわたしは帰宅を遅らせようとするのだろう?家に帰って部屋に直行して部屋にこもってごまかせる日もあるだろう。母の機嫌のいい日もあるだろう。それを期待して家に帰るのか?怖くて声をかけられないが、そうすると「(家事を)手伝おうという気がないのか!」と怒られる。怖いから一緒に居たくないのに、お手伝いを望まれてもな!と思うが、そんなことを言える空気じゃない。とにかく怖い。わたしの「オカンの再再婚によりオカンの機嫌が良くなる」という読みは外れた。もう絶望しかない。

というのは嘘で、経済的には少し楽になり、わたしはホッとした。わたしに直接実入りがあるわけではないが、生活が少し楽になるだけでも幸いである。毎週木曜日に機嫌が悪いとは限らないし、出かけていて母がいないこともあるので、その後木曜日が怖かったという記憶は今はもうない。その後どのようにやり過ごしたのかまったく記憶がない。ただ、大学に入った後も、オカンのわけのわからんヒステリーで、半殺しの目には何度か遭った。それでも大学には行かせてもらえたんだから感謝すべきで、再再婚は成功だったと言ってよかろう。もっとも、大学に入学がとうに決まっている高3の3月初め、「お前、大学行くのん?高校卒業したらソープに行った方が儲かるのに」と、母の三番目の夫に言われたことは死ぬまで忘れることはないと思う。

オカン、男見る目、なさ過ぎ。