しゃぼん玉

乃南アサさんの小説「シャボン玉」の映画版を見た。年を取って涙もろくなったのかもしれないが、なぜか涙がヘンなところで出てきて困った。

ストーリーは単純で結末までお見通しだけれども、キャスティングが良いため引き込まれる。風景も、特に山並みが美しくてしびれる。ヘンな婆さんの役の市原悦子さん(これが遺作となったそうだ)がうまくて、面白くて、何かもう、たまらんのである。ヘンなババアで、突拍子もなく、愛情深いが気が強く、なんとも本当に不思議な婆さんを演じさせたら天下一。こんなに素敵な人だったのねえ、と改めて惜しい人を亡くしたと思う。すさんだ気の小さい男が林遣都君。気が弱いからこそ人を刺してしまうというロクでもないバカ男を上手に演じていた。女や年寄りだけを狙ってかっぱらいをして、抵抗されたら刺すのだから、相当気が小さいんだろう。だが強盗致傷だから罪は重い。気の小ささは理由にならない。

山奥に逃げてきて、たまたま怪我をしたババアを助けたことをきっかけに、なんだかわけのわからない間に集落のジジババにいじられまくりで、山にキノコや栗、野生動物などを取りに行くようになり、目の色が変わっていく。ゴロツキ青年が、生き生きとしだすのである。決められた仕事をこなすことは苦手でも、自然相手のハンターのような仕事が性に合ったのか、どんどん頑張ってキノコを採るぞ!栗を拾うぞ!となるのだから面白い。そして、世話になっている婆さんの孫に間違われたまま集落でも認知され、人間らしい生活をすればするほど、自分のやらかした罪の大きさに苛まれるようになる。これが、穏やかな単調な映画の中の一番の山場だと思う。オレはなんてことをしちゃったんだろう、何であんなことしたんだ、何でだ、オレはバカだ、バカはオレだと、その気持ちと、いい具合に帰ってくる婆さんの息子が更にこのゴロツキを責めたてる。ババアをどついて金を無心するバカ息子に立ち向かうも、返り討ちにあって首を締め上げられる。死にそうになりながら見たその顔は、ババアの息子の顔ではなく、いつぞやの己の顔である。しけた額の金を盗るために女を刺したバカ男である己の、愚かな形相である。

犯罪者を美化しすぎかもしれない。実際の強盗はこんなきれいな顔の遣都君ではないし、こんな風に反省する奴は少ないと思う。ただ、生まれ育ちが恵まれなかったからすさんでしまっただけで、本来この子は、まともな家で育ったら、優しいいい子だったんだろうなあというエピソードもあるので、納得はできる。でも、まともな親にきちんと育てられても、こんなゴロツキになってしまうという婆さんの息子の例もあるように、一体、人間って、どこで道を踏み外してしまうのだろうと考えずにはいられない。生まれつき、ゴロツキはゴロツキ。何をどうしてもゴロツキなのかもしれない。救いはどこにあるというのか。

刑期を終えた遣都君は、明かりのともったババアの家に帰ってきた。帰る家があるから頑張れたのだと思う。そして、山での収穫と畑の作物で食べていくようになれば、もう強盗とも、かっぱらいとも決別できるだろう。街での暮らしが合わない人もいる。金や物がないと生きていけない生活が苦しい人もいる。物に振り回されて、金がないと心がすさむ生活を送っていると、自分を見失うときもある。失いっぱなしの人もいるだろう。そういうものから、解放されて自由になりたいと思う。パソコンは永遠じゃない。買いなおす日が来る。スマホも同様だ。ダサいガラケーを持っていたらバカにされる。賃貸住宅だったらバカにされる。あんな服装じゃダサいからバカにされる、あんな車じゃかっこ悪いからバカにされる、出身校でバカにされる。勤め先が有名企業で役職がついていないとバカにされる。そんなことの繰り返し。あれを持っていないのか、こんなものしか持っていないのか、そうやって他人を上手にこき下ろしたら、何かすごい力を得たかのように生き生きとしてしまう人に囲まれていると、疲弊する。疲弊して世間から背を向ける人もいるだろう。逆に凶暴化する人もいるだろう。そうやって人は、無駄な疲弊を繰り返し、限りある命を無駄にすり減らす。

田舎が素晴らしいわけでもえらいわけでもない。自然に翻弄されるし、閉鎖的でよそ者には冷たいだろうし、かかわりが鬱陶しいことも多いだろう。だが、運が良ければ癒される。そんな不思議な魔力もある。自給自足ができるなら、わたしのような都会の生活しか知らない者ですら、ポツンと一軒家にあこがれる。そんな不思議な力があるのも田舎なのだろう。わたしが泣いたのは、ババアが作った爆弾みたいな巨大な真っ黒なおにぎりにである。あれが、なんか、おかしくて面白くて切なくて泣けた。あれを頬張るゴロツキ遣都君の顔が、あどけなくて壊れそうで、頼りない顔に見えて泣けた。ババアの作るものはダサいし、パッとしないし、気が利かない。そこには手の込んだキャラ弁とは対極にある食べ物に対する畏敬の念があるのではないか。そんなことが渦巻いて、笑いながら泣けてきた。だっせー!ババアの爆弾おにぎり!と言いながら、笑ってしまったのである。

ババアとともに、山とともに生きよ。そしてババアを看取り、ババアのために祈りを捧げよ。それが彼の贖罪となるだろう。ファンタジーと言えばそれまでだが、キャスティングが良いので素晴らしい映画になったと思う。そして、人間が作り話をこれほどまでに愛するのは、こういうファンタジーに救いを求めているからに違いない。ありえないようなファンタジーに、人を安心させ、希望を持たせる力があるからだ。きっと。