傍観者

イジメは実際に行っていた者だけではなく、傍観していた者も同罪だという風潮が、自分には納得いっていない。

子供にそこまでの責任を負わせるのはいかがなものだろうか。

わたしは自分が通っていた小学校や中学校で、学校内やクラスでイジメがまったくなかったとは思わないが、気が付かないで過ごした。それほど大きなイジメなんてあったかな?ぐらいで、ぽつぽつとあったようだったけど、特に気に留めず過ごしていた。男の子同士の争いごとはさっぱりわからなくて、イジメなのかじゃれてプロレスごっこなのか、まったくわからなかった。女の子同士もそうで、喧嘩して合意の上絶縁したのか、一方的に無視して仲間外れにしたのかどうかなんて、どうやって判断しろというのだろうか。小さな小競り合いは常に生じている学校内で、8歳とか13歳のわたしは、どこまで責任を取る必要があるのだろうか?

一度、小学3年生ぐらいの時に、「気持ち悪い」「汚い」「○○菌」と言ってクラスのほぼ全員からばい菌扱いされていた女の子をかばって、「こういうことを言うのってよくないと思う」と、帰りの会で偉そうに発言したことがある。そしたら当人の、その女の子に「余計なことを言わないでほしい」と言われた。今思うと本当に稚拙で申し訳ないことをしたと思う。善意で行った発言だが、何の方策も示さないで、裏で誰かに手を回すこともなく、思い付きで発言した己を恥じたのだけど、まったくもって余計なことである。傍観者が罪ならばわたしは善行を積んだと言えるはずだが、結果は余計な真似であったというオチ。

傍観している者もまたイジメをしているのと同じと言われると、人の言動行動を逐一観察し、考察し、しかるべきところに通報しないといけないわけで、それってまた違う意味で怖くないかな?と思うのである。クラス内の出来事ですら、45人ぐらい児童や生徒がいれば気づかなかった、知らなかったという子がいるのは当然だと思う。自分も、小学一年の時の隣の席の男の子に標的にされて、指や腕をねじり上げられて痛い思いをさせられたことを覚えているし、小学四年の時にとても太っていて体の大きな男子に目をつけらて、一時期、ずっとどつかれたり後ろから突飛ばされたり蹴とばされたりしていたこともあった。あれはイジメの一種と言えるのだろうけど、「参ったな。どうしよう」とは思ったものの、親や先生に相談するということは一切しなかった。大人は信用ならないからであるが、だからって、他の友達が助けてくれないことを恨んだこともなかった。だってみんなにとっては関係ないことなのだから。どついてくるのはその子、どつかれているのはわたし。それ以外の人は関係者ではないと思っていたからである。

あの時、友達はわたしが後ろから蹴り飛ばされているのを見ていたものの助けてはくれなかったが、当たり前だと思っていたし、今でもそう思う。太ったでかい上に暴力的な男子に立ち向かえる子なんて、いるだろうか?逆の立場だったとして、わたしが彼に向って行ったとは思えないし、先生に言うのは何やらチクりのようで気が咎めるのが子供の常識だ。わたしに対する暴力は一過性のもので、2,3ヵ月ぐらいで終わった。飽きてきて違う子をどつき始めたのか、いくらどついても泣かないし、面白い反応もしないで無視するわたしがつまらなくなったのか知らんが、わたしに対する暴力がなくなったので、わたしも済んだことと流した。わたしの次に誰かがどつかれていたと推測されるが、わたしはついこの前まで被害者だったくせに次の被害者が誰になったのか気づいていなかったし、わたし以外の人がそのデブから何か嫌な目に遭わされていたかどうかも全く思い出せない。それは罪なのだろうか?

自分のことは自分がどうにかしないといけないのは、たとえ5歳児でも10歳児でも50歳児でも同じだと思う。ただ、子供は判断力や行動力が十分でないし、対応の仕方もよくわからないだろうから、大人が目配り気配りしてやる必要がある。第一義的にその役目に当たるのは親で、その次は担任の教師であろうが、クラスメートにそれを負わせるのは違うだろう。

イジメられていた人が、傍観していたクラスメートも同罪だと思うとたまにおっしゃっているが、それは逆恨みではなかろうか。にやにや笑いながら見ていたクラスメートを恨む気持ちは理解できないことはないが、同罪というのは言い過ぎであると思う。まして気づいていなかったクラスメートまで同罪と言われたら、それはもうヤクザの言いがかりレベル。気づいてはいたがただ傍観していた人を同罪というのも、やはり無茶であろう。わたしはとても仲のいい子が、わたしが階段で突飛ばされて下の踊り場まで吹っ飛んでいった(が着地は成功したのでケガはなし)のを見て爆笑して、「あの格好ったらないわ~~マジウケる~~~」と数日間ネタにしてみんなに言いふらしてみんなで大笑いしていたのを覚えているが、恨んではいないし、彼女もまた同罪だとか悪いとか思ったことはない。わたしは死ぬかなと一瞬思うほど怖かったけど、彼女の眼には面白いものとして映ったのだろうからしょうがない。突飛ばした男の子が悪い、あいつがクソとは思ったけど、笑った子のことは呆れはするけど(そこまで笑うかよ、という意味で)、やらかした当人ではないので責めることはできないというのがわたしの感想である。

わたしが受けた暴力はたいしたことがなかったのだろうけど(程度も期間も)、運が悪いともっと悪質なイジメに遭って、本当に大変なことになってしまう。大事なのは、大人に助けを求めても良いということを子供に教えることと、身近な大人が信頼たり得る人物であるという関係性を子供と築いておくことだと考える。そして信頼できる大人として大人が全うな行動ができることが大事で、子供にいろいろ責任を負わせるのは違うなあと思うのである。わたしはたまたまイジメは長く続かなかったし、他の友達とは仲良く楽しく過ごせていたのでそれほどダメージはなかったが、うちの親は全く信用に値しなかったので、運が悪ければ死ぬほど大怪我を負わされるまでどつかれていたんだろうなと想像する。先生に至ってはもう、ね。言うだけ無駄というか、報告した方が損すると幼いわたしが判断する程度の信頼度。無駄無駄無駄無駄!

自分の子がひどいイジメに遭っていても気づかない親に責任はなくて、傍観していたクラスメートの方はいじめっ子と同罪というのは、やはり行き過ぎであろう。自分の親を否定したくないという身内をかばう心で、傍観していたクラスメートに罪を負わせたくなるのだろうけど、それは逆恨み。自分の子がものすごいイジメを受けていても気づかない親がボンクラで、何も方策を打ち出さない親がマヌケである。保護者でもなんでもない赤の他人で、おまけに未成年者である傍観者に責めを負わせるのは広げすぎだ。手を出していない、教唆していない、煽っていないクラスメートを恨むのはお門違いだ。見て見ぬふりをしていたのではなくて、怖くておびえていたり、どうしていいのかわからず悩んでいたのかもしれないのに。

一番悪いのはイジメをした奴、そして教室内の出来事であれば管理していない教師、子供の様子に気づいていない親、子供がSOSを出せないようなレベルの親であることが問題。子供にその責めを負わすことは、やはり同意しかねる。優等生な発言は結構だが、無力な子供に擦り付けるのはやり過ぎだと、やはり思う。

イジメはなくなることはないので、イジメをしたら損するという構図を作るべきだと思う。今はイジメたやつ勝ち。バレても特に罰も受けないでのうのうと過ごすことができ、イジメられた方が転校したり、あるいは不登校になったりして損するだけで終わる。そして、イジメがしたくてたまらない頭のおかしい人は一定数いる。いることを前提に法を整備した方がいいと思う。ひどいイジメをしたやつは死刑でもいいかもよ。そして親や先生が信頼たり得る存在になること。これが一番難しいのだけどね。