これから人口が減るそうなので、改善されるかもしれません。

定期的に、公共交通機関でお年寄りや妊婦、病人に席を譲らない奴がいる!という話題でネットが騒がしくなることがある。理想論としては、お年寄りや妊婦さんには譲ろうよというのはわかるけども、なかなかそれも難しいだろうねというのもあり、公共交通機関では、特に東京の地下鉄や山手線やそこにつながる私鉄各線では期待しちゃいけないし、無駄なことを争わない方がいいと思う。

わたしはたまたま割と都心部に住んでいて、通勤では長くても20分ぐらいしか電車に乗らないで済むし、オフィスの場所によっては歩いて8分ということもあったので、電車に乗っても座らない派である。座る必要がないので座らない。でも逆に言うと、そんなわたしが座っているというのは緊急事態発生時だということである。なので、そんなときに「あたしは妊婦なのに譲らないなんて最低!」と思われても、「いやあ、無理です」ということになるのである。わたしのような恵まれた場所に住んでいても席を譲れないこともあるのだから、もう少し遠いところに乗り継いで通っている人たちは、「ここで座って置かないと」という気持ちもあるのだと思う。すべてはアホみたいに混んでいる電車のせいで、こんなに混んでいて、こんなに遠いところから通わないといけないのであれば、毎日のことだから座りたいと思っても当然であろう。

以前、いつも座らない帰りの地下鉄で、どうしても気持ち悪く吐き気がするので、たまたま空いていたから座ったことがあった。下を向くとゲロが出そうな気持になるし、とにかく気持ちが悪くて本やスマホを見る気にもなれず、余計吐きそうになるのでやや上を向いたような格好で座っていたら、次の駅で乗ってきた太った女の人に睨まれたことがあった。ものすごい鬼の形相で、「わたしはかつてこの人の親を殺した、親の仇でしたっけ?」と思うほどで、何をそんな怖い顔で睨んでくるんだろうと思っていた。わたしが見ると目をそらすが、わたしが目をそらすとまた睨んでくる。「そんな変な顔しなくてもそもそも変な顔なのに、変わった人だなあ」と思っていたら、なんのことはない、この人は妊婦さんだったのだ。それでわたしにバッグにつけた妊婦バッジを見せつけて席を替わってもらおうとしていたのだった。ただ、そのバッグのバッジはわたしに見えていなかったし、見えていても気持ち悪くて参っていたのでちょっと無理かなあというところであった。人のことを睨み続けるぐらい元気なので、替わってやらないといけないこともなさそうだし。わたしの両脇にも人は座っていて、他にもいっぱい座っている人がいるのに、なぜその人たちのことは睨みつけないのかなとか、していることが論理的でもないし合理的でもないし、本当に変わった人だと思うけど、心の余裕のなさがこういう無駄な行為をさせる原動力になっているのだと思う。下を向いたら吐くかな?という恐れがあって上を向いている人に喧嘩を売るような無駄な行為は、かえって「絶対譲ってやりたくなくなるよなあ」という気持ちを起こさせるだけで、本当に無駄な行為である。わたしはあの時たまたま空いていたから座れたけど、もしも立っていたら、どうしたかなあと考えて、我慢できそうなら妊婦に席を譲るというのも一考だが、無理して吐いたらその方が迷惑とか、心は揺れる。具合が悪くて座っていてもこれほど人を嫌な気持ちに悩ませてくれるのだから、なかなかの破壊力。あの時座れなかったら、次の駅で降りてベンチで休んで、また次の電車が来たら1駅乗って、また降りて駅のベンチで小休止、そうしていたかもしれない。わたしの個人的などうでもいい「なんか吐きそう」ぐらいで、座っている人に席を替わってほしいなんて言えないし、言いたくないし、それにそうしていても10分程度で自分の駅に着くのだから、そんなに大変なことじゃない。もっと遠くから乗り継いできている人の方が大変だ。だからやっぱり、具合が悪くても替わってほしいというのはハードルが高いとも言える。一過性の気分の悪さでもこれほどならば、何か月も続く妊婦さんだって大変だと思う。体調管理も難しいだろうし。だから座りたかったかもしれないけど、ならば、他の人のことも睨むべきで、ピンポイントでわたしに恨みを抱くのは違うだろう。結局は弱そうな女を狙って睨みつけているのだから。

昔、山手線で会社に通っていた時は、朝、必ず座るようにしていた時がある。激込みして、死にそうな目に遭うからである。たまたま住んでいた駅の隣の駅が大きなターミナル駅で、ほぼみんな降りるんじゃないかというほど降りるので、そこですかさず座っておかないと、そのうち激込みになって命の危険を感じるほど混んでくるからである。そうやって、みんなそれぞれ自衛策を練って通勤している。このあたりで混むから座っておかないと危ないとか、あそこから先はすごく空いてくるのでここで必死に座ろうとしなくても大丈夫とか、ここはいいけど次の乗り換えで混むからここは座って体力温存とか、みんな工夫しているのだと思う。だから、座っている人に恨みを込めないでほしい。わたしは基本、いつも立っている。座っているときは非常事態か、荷物が重くて困ったとか、こっからまだ20分以上乗るとか、何か理由があるんだよ。基本的には座らない。一度、仕事で必要なセミナーを仕事の一環として受けさせられたとき、帰り道、スーツでヒールのある靴、重い鞄、セミナーで配られた大量の紙の資料で困り果てて、しかもその大量の紙の資料が持ち手のないつるつるの封筒に入っていて、手で握るには分厚過ぎるし、つるつるするから脇にはさんでもつるつる滑るし、鞄もパンパンで入らないし、あー!もう!!と思っていたら地下鉄で席が空いて座ったところ、次の駅で乗ってきた婆さんにマークされて困ったこともあった。いや、この荷物見てよ。これを持って立ってつり革につかまるって、すごく大変なんだけど!!!乗換駅でタクシーに乗り換えて帰ろうかと思っている程なんだけど!と思ったよ。もちろん、知らん顔して座ってましたけど、わたし以外にもいっぱい座っている人がいるのに、なぜわたし一人をマークするのか。隣のオジサンとか、向かい側の若い人を狙わないのは何故?と、正直なところ思った。この封筒をあんたが膝の上に載せてくれるっていうなら替わってやらんでもないよ。でも嫌がるでしょう?重いし。膝にのせてもつるつるすべってくるし。膝にのせて支えているのもそこそこ大変なの、見てわからないかな?って感じだった。理由があって座っていてもこんな気分にさせられて、そのうち席に座ったら死刑という法律でも作ってくれた方がいっそ気楽だと思うほどだ。

若い女性、若い男性、このあたりがだいたい標的になって、「席を譲らないバカども」という誹りを受ける。わたしはもう若くないので座っていてそういうハラスメントに遭わなくなってきたと思う。それと、今はたまたま会社が近いので「地下鉄で一駅」しか乗らないから100%座らないからだろうけど、季節によっては歩いて通勤することもあるからだろうけど、でも、そんなラッキーな人より、乗り継いでやってくる人が多いのだから、席を譲れなんてことは考えない方がお互いのためだ。わたしもかつて乗り換えて会社に通っていた時は、この駅で必ず並んで待って、必ず座っていこうと計画して乗っていた。危険なほど混み、殺気立った車内で自分を守るためだ。恐ろしいほどの満員電車が少し空いてきたときに乗ってきた人からしたら、かたくなに座っているバカ女に見えたかもしれないが、そうせざるを得ないほどの状況だったので仕方なかった。降りる頃には少し空いている電車にホッとして「あ、降りやすくていいな」としか思わなかった。混みすぎていると降りることができないこともあるからだ。そんな状況で毎日通勤している人もいるから、もうこの話は不毛だ。

山手線などはつなぎで乗っている人が多いので、そんなに必死で座らなくてもと思う人もいるかもしれないけど、つなぎじゃなくてメインで乗っていると、「この後のあそこの駅で混んできて危険」というのがわかっているので、それで防衛策として座っているとか、ここはそうでもないけど、次に乗り換える電車は絶対座れないからここで小休止なんだよということもあろう。とにかく、もう、この過密状態の異常事態の東京で、席を譲る譲らないなんて話はしない方がいい。余裕がある人は譲ればいいけど、みんな事情や問題を抱えているから無理なんだよってことだ。とにかくわたしは「座らないようにしている」し、「天気がよければ歩いて会社に行くようにします」ということで、なるべく皆様にご迷惑をおかけしないよう気を付けておりますよ。それでもたまに乗って座って文句を言われるのだとしたら、すみません、わたしが生きていて邪魔でしたね、すみません、今すぐ死ぬので許してくださいと言うしかないことになる。

これほど過密状態で異常状態を20年も30年も続けているから、東京の公共交通網は張り巡らされ便利で、そして安価だ。大都会なのに大阪では地下鉄代もすごく高い。東京のあれほどの人間が利用するからあんなアホみたいに安い料金で乗れる。ロンドンの地下鉄の値段の高さを考えたら東京は天国だ。だから、持ちつ持たれつなのだ。どうしようもない。席を譲ってくれないのが薄情だとか冷たいだとかよその国ではみんなもっと親切とか、そんな無駄なことを言って争いを生じさせないことが一番。激込みで料金格安、だから立って乗るもの、そう理解して、座れたら超ラッキー!と思ってください。無駄なことを望んで、無駄なことを期待して、当てが外れて怒るのは、やめた方が幸せになれます。