自虐もまた悪

自分のことをブスとかババアとかクソとかよく表現しているけど、それって実はよくないことなんだろうなあ・・・とぼんやり考えている。

その表現は事実ではあるのだけど、あまり頭のよろしくない人にとっては、「こいつはブスと罵っていい奴決定!」「少し歳をとった、所謂若い女ではなくなった女はババアとバカにして弄ってよい」という許可をもらったような心境に、わたしと似たような立場の人で、敢えてそんな風に自己を評価したくない人にとっては、「この人がこういうことを言うと、自分も同調しないといけないのではないか。言いたくないし、思いたくないのに」という嫌な気持ちにさせる危険が生じる。自分を卑下して笑いを取りたいわけじゃないが、「こいつ、調子乗ってんじゃね?自分のこと、いい女だと思ってんじゃね?」と思われたくないから、「わかってますよ!ブスでババアで貧乏ですよ、うぬぼれてませんよ!」と宣言しないといけないと勝手に思ったからである。予防線を張っているというか、先に言い訳しているような感じでもあるが、とにかく相手に不快な思いをさせないがための心配りのつもりだったが、それもまた迷惑な気遣いだったりするのである。

結局見た目や年齢に縛られて、振り回されることからはなかなか自由にはなれない。今はまだだいぶマシになったけど、若い頃はそういうことで弄られて面白くバカにされて笑われることを潔しとしないといけないような社会だった。そういう社会に生きているので、そこから逆らって生きるのは大変で、仕方なく受け入れていた。ええ、ブスです、残念な見た目です、はいどうも~、一生結婚できないおかわいそうな不細工が通りますよ~とにこやかに流さないと、社会性がないと叩かれる。それが怖くてへらへらするしかなかった。わたしはヘタレである。「お前らみたいな不細工に言われたくねえわ、クソが!ふざけんな!」と言い返さなかったのは、ただただ報復が恐ろしくてビビっていたからに他ならない。立派な言い訳なんか全部ウソだ。言い返したら同じレベルに下がるからとかっていう人もいるが、絶対嘘だ。ビビって言い返せない根性なしの言い訳だ。

今は年齢や結婚しているかどうか、美醜などを殊更論って笑いを取ることを良しとしない社会になってきたので、ちょっとましな世の中である。が、その分、ネット上ではそんな言葉があふれている。結局人間は年齢や美醜から逃れられない生き物なのかしらん。特にネットじゃ自分の顔をさらさないで書けるから、ぼろくそ書ける。もっとも、昔わたしをブス弄りしていたオジサンたちは、わたしと比べてもはるかに不細工な人間ばっかりだった。あの程度の見た目でわたしをブスブスと言っていたので、ネットがあってもなくても人間の愚かさに変わりはないような。

自分のことだからブス弄りをしてもいいってもんじゃないのだなあと、ババアになったから「ババアなので」と自分を笑うこともちょっと考えないといけないのかもよと、反省というか自省というか、ちょっと考えなきゃいけないのねと思っているところ。どうにもこうにも人の世は、めんどくさいものよ。しれっと生きてりゃ「ババアのくせに偉そうに」「ブスのくせにいい女ぶりやがって」と言われるし、自虐で生きればそれもまた問題だ。丁度いい塩梅が難しい。