国家とは何か!今ここで、もう一度考えてほしい!なんつって。

時期が遅れて何故か炎上した野田洋次郎氏のTwitter。心奪われてしまったよ。

彼はおそらく、「こんな才能あふれた素晴らしい人たちが、金や名声目当てのゴロツキ男やクソ女に騙されてめんどくさいことに巻き込まれないように」という親戚のオッサン的な気持ちで、「悪い虫がつかないと良いね~」と言いたかっただけなんじゃないかとわたしは勝手に解釈したのだけど、「国家」という言葉を使ってしまったので、飲み屋での与太話方向に行かなくなっちゃったのかなと推測(憶測)する。

個人が、「あたしは美人だから、不細工とは絶対結婚したくない!」「俺は高学歴だから、一流大学を出ていない女との間に子供を作るのは嫌」というのはOKなのである。お好きにどうぞである。でもそこに国家が絡んできたらダメ。国家の関与を簡単に許しちゃダメ。国家が、「あんたバカなんだから、東大卒の医者と結婚したいなんて許しませんよ」なんて言ったらダメなことくらい、もういい加減にわかってないとだめでしょ、ということなんだと思う。国家が介入していいこと、いけないこと、そこの線引きがわかっていない、意識していない、気が付いていないところに、野田洋次郎氏の危うさがあるのだと思う。いいんだよ。野田さん自身が、「俺はこんなにイケてる売れてるミュージシャンなんだから、ブスは抱かないぜ?一流大学出た、モデルレベルのスタイルのいい美人で25歳未満しか相手にしねえ」と言っても、結構でございます。それを優生思想とは言わない。「好み」で片づけられる。でもそれを国家にやってくれと依頼したら話は別になってくる。みんなが食いついているのは、「国家」というワードの恐ろしさに対して。またそこに気づかず無邪気な野田さんに対して。

野田さんは以前からTwitterが荒れるので、その点においても興味深い。右翼的な歌を作っちゃったり、チケットの払い戻しで危なっかしいことを言いだしたりして、とても無邪気だ。だけど、そういうおっちょこちょいでわきが甘くて抜けているところが、ファンの人にとっては魅力なのかもしれないし、そういうところがあるから素敵な音楽を作れちゃうところがあるのかもしれない。わたしは全くファンじゃないので炎上してもなんとも思わないが、ファンの人はハラハラしているのではなかろうか。ファンの人に夢を見させてあげるというのもミュージシャンの大事な仕事だと思うので、もうちょっと慎重になった方がいいような気はする。「愛にできることはまだあるかい」というタイトルを壮大にいじられる羽目になってしまったことは、ファンにとってつらいことなのでは?国家が決めるなら、愛にできることはないことになっちゃうし。

「ごめん、あの話、優生思想とかそういうつもりじゃないんだけど。撤回します、ごめん!!」と言っておけばいいのに、更に「冗談なのに、何マジになってんの?ウケるんですけど~~」みたいなリツイートしちゃうから、さらなる燃料投下。こういう、後から、「冗談なのにマジで返すってどうよ?本気にするやつバカじゃね?」みたいなことは言っちゃだめよ。ほんと、ダメ。事実、冗談のつもりだったとしても。本当に、マジで返す奴ってどうなのよ~(苦笑い)だったとしても、ぐっと飲みこんで。たとえばハクスリーの名前やデストピアといったような言葉をちりばめてtweetしたのなら、「ああ、冗談か」で済んだのかなと思うけど、「国家プロジェクト」なんて書いちゃっているのでちょっと厳しい。この言葉の持つ危なさに気づいていないところが、今回の問題点だと思われる。

でもね、ちょっとこのtweetで一人で盛り上がったあと考えてみた。「国家」とは何か、と。「国家」を考えるにおいて忘れてはならないのはプラトンであろうか?マキャヴェリであろうか、ホッブズであろうか。なんつって、とりあえず知っている単語、並べてみた。てへ。リヴァイアサンとつぶやいてみる。ふふ。

野田さんのことよりそっちの方が興味深くなったので、ちょっとそっちに行ってきます。へへ。