天空の絵描きたち

以前に、古市憲寿氏の小説「百の夜は跳ねて」を読んで、悪くないと思ったことをブログに書いた。その時、どうやらこの小説には元ネタがあることを知った。元ネタ小説をパクったというわけではないのだけど、こういう手法の小説ってどうなの?と、芥川賞選考委員の人たちがざわついたことがあり、元ネタとされている木村友祐氏の「天空の絵描きたち」を読んでみたかった。だがその当時単行本化されておらず、都立図書館所蔵の雑誌から読むしかなかったのだが、この騒ぎのおかげか、単行本化された。世の中何があるかわからない。古市氏のおかげみたいで笑える。それで、慌ててその本を読んでみた。

どちらの小説も、高層ビルの窓ふきを仕事にしている人たちを描いたものである。古市氏は「天空の絵描きたち」を読んで感銘を受け、筆者の木村友祐氏の承諾を得て書いたのだから、盗作でも剽窃でもないと思っているようだが、選考委員はモヤモヤしているようであった。読んでみて盗作でも剽窃でもないと思ったが、おいしい設定をかっさらったなあと感じた。そして小説としては、木村氏の方が比べ物にならない程面白い。おしゃれさんな古市氏の妙なディティールへのこだわりより、すんなりまっすぐ面白い。主人公がそのまま宙ぶらりんのところも、意識高い系に成長する古市氏の描きたかった主人公より好意を持てる。なんだ、その、オカンが選挙に出るとかよ、ブランド物のチョコレートとかシャンパンとかよ、ったく、何が描きたいんだか。そのうちロハスでサスティナブルでプラスチックフリーなことぬかしやがるんだろうよ、と悪態をつきたくなる。ヘンなところに自意識が行っちゃって、古市氏の小説は痛い。

小器用にいろいろできる古市氏だけど、人々が彼を半笑いでスルーするのは、そういうところなんだろうなあと思うのであった。そして、うまいこと設定はいただいて、俺色に染めたんだから俺のオリジナルでもあるよね?と言わんばかりの態度は、古市氏のそのまま生き方なんだろうなあとしみじみ感心する。AO入試でおしゃれ大学に入って、マイナーなノルウェーの大学に留学して、たまたま商業的にヒットしていない秀作を探し出して設定をいただいておいしく小説を作り上げたりと、本当に器用ですごい。テレビでちょっと人と違うとがったことを言って笑っていただいて金もうけするなんて、すごい。こういう人が、うまいこと人々を騙すというほど悪くないことをして、ちょろまかして生きていくって、ある意味清々しくて、ある意味賢くて、ある意味正解なんだろう。

これだけぼろくそ書いておいて、実は古市氏をそんなに嫌いではない。こういう器用でうまいこと立ち回るこすっからしい奴に対して、うらやましいなあという気持ちがまったくないわけではなく、そういう賢さのない凡庸というか最下層の自分は、さらにもっとみじめったらしい僻みを抱くよりは、あっさり降参して「あっぱれ!すごいな!!」と拍手する方が精神衛生上も良い。おまけに嫌いになりきれない古市氏のキャラも相まって、なんか、まあ、こういうのもありなのかも?という気分になる。そもそも木村友祐氏が、「古市氏から事前に連絡はもらっているし、同じ人にインタビューしているのだから、設定が似るのは当然。あれはパクリじゃない」と断言されているのだから、そうなんだと思う。だが選考委員が眉をしかめるのもまた当然で、それはそれでいいのではないかと思う。選考委員が抱いたモヤモヤは、立場として当然で正しいだろうし、読んだこっち側もモヤモヤはしているし。これでプロから良い評価を得たら、選考委員もボンクラだな、目、開いてるのか?と言いたくなるところだ。

木村友祐氏の「天空の絵描きたち」の方が、古市氏の「百の夜は跳ねて」の100万倍も1億倍も面白いが、ここはちょっと意地悪な気持ちを押さえず、比べて読むのをお勧めしたい。「ほんとだ、天空の絵描きたちの方がいい!!この作家さん、いいね!」と、一気に木村氏のファンになってしまうこと請け合う。古市氏が誰かのためになる瞬間を、あなたは味わえる。そんな読書になります。