三つの物語

フローベールといえばボヴァリー夫人?読んだことないけど、ぐらいの認識だったが、なんとなーく読み始めた「三つの物語」。思ったよりいい!というか、いい!いい!いいじゃん!と、久々にヒットの予感。ヒットしたのはわたしの心だけで、別に今更ベストセラーになるわけではないが。

最近、小説が読めない。特に長編がかったるい。歳のせいかしらん。なんかもうしんどい。というか、心にぐっと来ない。いや、そんなことはない。「ロリータ」は長編だけど読んだ。良かったぞ、ほんと、あれ、「ムカつく!!」と怒り狂いながら変態オジサンの長い長い独白を読んだ。小説としてはよかった。でも「プラハの墓地」がすすまない。指がすすまない。ページをくるのももどかしい、なんてそんなことはない。ものすごく面白くなる予感がするような、しないような、てか、もうどうでもいいような、そんな気持ちで結局途中でギブアップした。何故なの?もう長編を読めない脳みそになってしまったの?と、自分に腹を立てつつも、単に好みの問題かもしれなくて自分を責めきれない。

三つの物語は短編が三つ。「素朴なひと」「聖ジュリアン伝」「ヘロディアス」。「素朴なひと」を読み始めて、愕然とした。こんな、こんな話、こんな話が読みたかった。

それがまた、素朴な話で、別になんてこともない人の話なのだけど、哀れで健気で寂しい人のお話なのだけど、こういう人に光を当てるというか、こういう普通すぎて世間に紛れ込んで見失いがちな人を描くところがぐっときた。素晴らしい何かがあるわけではないが、生きているとそれなりの事件は起こる。大した事件でもなんでもないけど、でも語れるようなことが起きる。ただそれは日常に紛れて流れて消えていく。素敵な人と出会っても、ただその人に尽くして終わるわけではないところもリアルで、一方通行の愛情が切ないが美しい。誰を愛しても一方通行なのが現実的で、胸をえぐられるが不快ではない。なぜなら、愛情とははそういうものなのだから。

ならばここで、「ボヴァリー夫人」を、長編だけど読んでみようかしらと思っているが、人妻がアバンチュール求めて最後は破滅というので、ためらっている。ただのバカ女の話を読んで、「ロリータ」の時のように「キー!ムカつく!!」と怒りの読書をする羽目になるのかしらん。こんなにいい思いをした読書のあとに怒り狂うのも、しんどいぜ。