ハプスブルク展@国立西洋美術館

絵画展は楽しい。絵ってなんでこんなに見ていて楽しいんだろう。楽しさを求めて国立西洋美術館に足を運んだ。いつ行っても常設展も素晴らしいが企画展も素晴らしい、国立西洋美術館。お庭も楽しい。当たり前すぎて有名すぎるが、だけど時々無性に行きたくなる美術館だ。

このハプスブルク展は、日本・オーストリア友好150周年記念のひとつで、他の美術館でも150周年の記念にクリムト展だの世紀末ウィーングラフィックなど様々企画された。西洋美術館ではハプスブルク展。白眉は、おそらく、わたしも大好き!スペイン・ハプスブルク家のお抱え画家であり役人であったベラスケスの描いた、マルガリータちゃんの肖像だろう。まったくもって、ベラスケス、素晴らしい。マルガリータちゃんもこの絵の時の子供の頃は愛らしいのだが、大人になるとスペイン・ハプスブルク家の呪いで顎がしゃくれ、鼻の先っぽが赤く垂れ下がり、かなりのブスになる。そして若くしてお嫁にいき、何度も妊娠流産、なんとか出産、また妊娠ということがもとで若くして亡くなる。ハプスブルクの青白い血統を守るために親戚中で結婚出産を繰り返した結果、生まれつきマルガレータちゃんは体が弱かった。血を汚すなと言うハプスブルク家的なものの考え方は非常に危険なのだが、その考え方は我々にも伝播し、今の時代でも根強く残り、大変罪深いことを感じる。今でも白人様は崇拝の元、色がついていれば下等。ハプスブルクのように青白い血を崇め奉るのは、ここから始まっていた・・・のかもしれない。いや、もっと前からだろうけど。

そんな中、まったく有名でない一枚にわたしは今回恋に落ちて、もう、おもしろくてたまらなくなり、絵葉書があったら買おうと思ったが、無名すぎてない。図録に載っていたが細かい絵なのでつぶれてしまっていて、ダメ。この絵はとにかく細部が大事なのである。その絵が本当に面白いのである。画家はヨハン・カール・アウアーバッハ。知らん、そんな人、知らん。1773年の作品で、タイトルも長い。「ホーフブルクで1766年4月2日に開催されたオーストリア女大公マリア・クリスティーナとザクセンのアルベルトの婚約記念晩餐会」である。ものすごい数の人間が描かれ、婚礼の当事者も小さく描かれているだけ。テーブルの中央にいるのはマリアちゃんのご両親(だったはず)、その左側にいるのが主人公のカップルである。晩餐にありつけるのはたったの12名。一人、席を外しているような人が一名いるかもしれないが、あとは面白がって見に来た人なのか?お取り巻きなのかお祝いを言いに来ただけの太鼓持ち?などで、なんだかよくわからないことになっている。音楽隊と歌手のご婦人もいたりして、豪華なのだけどわちゃわちゃすぎて意味不明。それより下方右に、こちらじっと見ているオジサンがいるのであるが、この人と目が合うのである!このオジサンの髪形がバッハみたいなのと、描いた人がアウアーバッハであることから、わたしはバッハオジサンと名付け、彼から目が離せなくなった。バッハオジサン、どこまで行っても目が合う!!素晴らしいカメラ目線!このオジサンのおかげで、この絵がぐっと楽しくなり、こういう出会いがあるから、わざわざ原画を見に行きたくなるのである。

富のある所に芸術あり。明日のパンを工面するような庶民が手を出せるわけもなければ、手を出したくなることもない芸術を、金持ちが高い金を出して入手してくれて、誉めそやして大事に保管してくれる。ありがたい。ヨーロッパを席巻したハプスブルク家もその役目をきっちり果たしてくれた。そして、スペイン・ハプスブルク家のフェリペ4世は、政治には疎くまったくのボンクラだったようだが、ベラスケスの才能をいち早く見抜き、重用し、彼にしか自分の肖像を描かせなかったほど芸術には理解もセンスもあった、そっちの面においては素晴らしい人であった。しかし、やっぱり彼も顎がしゃくれ。鼻の先っぽが長く垂れ下がり赤くなっているという、青白いスペイン・ハプスブルク家の呪いにかかっている。だが、彼は、ことさら自分を美化して描くことをベラスケスに求めたようなわけではなさそうだ。彼のタッチが好きだったんだろう。近づくとラフな筆致がよくわかる適当な筆さばきのように見えて、少し離れてみると布のうねり、顔つき、肌の質感、スタイルなどが非常に美しく描かれている。そんな先進的なベラスケスの才能を理解していたのがフェリペ4世である。だが、絵画だからといっても、いくらでも美しく描いて嘘がつけるわけではない。にじみ出る人となりやダサさ、性格の悪さ、賢さなどはどうにも隠せない。今のアプリを使った加工写真の方がはるかに嘘つきで、嘘も嘘、ものすごい大嘘状態であることを思うと、絵画は実は正直だ。もちろん、描いている人間のモデルに対する愛憎も混ざってしまうが。が、またそれも、真実なのだ。

ヤン・ステーンの「騙された花婿」はなかなか意地悪な絵画で、じわじわくるいやらしさ万歳である。指を立てているのは、寝取られ男を表している。だからこの絵画は、「騙された花婿」なのである。どうやら処女であるべきうら若き花嫁はお手付きで、すでに妊娠していることをうかがわせる。ジジイが若い嫁を貰うとこういうもんだというのは、古今東西変わることのない常識なのか。愛と妥協と落としどころというのが結婚なのか、昔も今も世知辛い。婚活で、有名企業の正社員で年収いくら以上!かわいくて痩せていて(痩せているのは若い女の象徴。年増になれば脂がのってくるものだ)料理上手な子がいい!とわめくのは、当たり前なんだろう。愛さえあればなんて、所詮寝言。

とかなんとか、利いた風な口をききたくなるのも絵画のなせる業かも知れない。なんとなく分かったような気になるし、だからってすべてをわかることはない。あとは想像というと上品すぎる妄想と願望。だから絵画はたまらなく面白いのだ思うのだけど、まあそれもまた寝言の一種。

もう一回見に行ってみようかなと思う程、このところバッハオジサンに心、奪われている。参ったな。ここにバッハオジサンはいます。探してみて!

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