結局読んだ。

少し前だが、古市憲寿氏の二度目の芥川賞候補になった小説を読んだ。「百の夜は跳ねて」だ。前作の「平成君、さようなら」を読んだ後、二度と彼の作品は読まないだろうと言っていたのに、機会があったので読んでしまった。読後の感想としては、意外な感想「いいじゃん!前より断然いいじゃん!」であった。そう、割とよかったのである。

素晴らしくいい本だ、みんな、読みたまえとは言わないけど、前作の「おしゃれなボクらのアーバンライフ」みたいな、田舎の中学生が描いたションベン臭い設定とは違い、ありえないけどありえそうな設定がまずよかったと思う。最初のオーラルセックスのシーンは気持ち悪いし、意味不明だからいらなかったと思うけど。高層ビルの窓ふきというのは、面白いところに目をつけたなと素直に思った。そういう仕事をしていれば、見なくても良いものを期せずして見る羽目になることもあろうし、だからって、コナン君みたいに殺人事件の捜査をするわけでもなく、することはしょぼい。同じ仕事をしている先輩に「ぼくのことバカにしているんでしょう」と聞かれて、「ごめんなさい、バカにしてました」と正直に告げる主人公はとても古市氏であった。だから古市氏が窓ふきをバカにしているというほど単純な話ではないだろうが、この主人公の「いい大学を出ていい感じだったのに、かっこいい会社に入社できなかったという挫折が納得いかない」というのは、やはり古市氏的である。彼がそうだったという意味ではなく、彼ならそういうことを言いそうだなという意味において。そういうところが、浅はかだと思うし、逆に正直すぎて面白いともいえる。そして主人公は早々に窓ふきを辞めて、あんなにバカにしていた母親の選挙にかかわっていくのだから、またしても古市的。権力とか先生という言葉は芥川賞という言葉と同じぐらい、甘くて優美でうっとりなんだろうなあと思わせるところが、最低だなこいつ!という気持ちと、正直すぎてある意味あっぱれ!と、賛成も反対もしづらくなって、総合すると「ちょっとおもしろい」になっているのかなと分析する。

そして、どうやら古市氏はすごく死について気にしているらしくて、今回もまた、死を口にしている。事故で転落死した先輩と会話したり、ボケているんだかあっちの世界を行き来してしまっているんだかという婆さんと仲良くしたりして、どうにもこうにも死というものに単純に興味を持った小学生のように、論理的に系統立てたり哲学的になることはないが、とにかく誰かが死ぬことを盛り込みたがっている。彼にとって死というものが今の一番の興味なんだろう。そして、やっぱりブランド物とシャンパンが好きで、グルメ気取りな記述も目立つ。なんだろうなあと笑っちゃうのだけど、これがこの人の個性であるなら致し方ないのかも。正直、ダサいと思うけど、ご本人的にはおしゃれなんでしょう。

 わたしが面白がっただけで芥川賞選考委員の方の書評がなかなか辛辣で、そして意味深く、モヤモヤしている。選考委員の方々は、盗作をしたわけでも剽窃したわけでもないが、こんな風に人の作品からいろんなものを頂戴しちゃっていいの?こういう作品ってアリなの?と問うているが、このあいまいな、盗撮ではないといいつつずるいことしていやがるというのはいったいどういうことなんだろう。

どうやら、古市氏は、参考文献として挙げている木村友祐さんの2012年の小説「天空の絵描きたち」という作品にインスパイアされ過ぎたらしい。酷似しているというよりかは、この小説に描かれている雰囲気、表現、思想のようなものを上手に切り取ってきて、コラージュというかパッチワークのように「百の夜は跳ねて」を書いてしまったらしい。その上、この「天空の絵描きたち」という小説が面白くていい話らしい。どうりでというか、だから古市氏の小説をわたしは前よりいいじゃん!よくなったじゃん!と思ったかと思うと情けないやら、わたしが悪いわけじゃないのにわたしが恥ずかしいやらで、本当にモヤモヤする。選考委員は結構な辛辣な言葉で「百の夜は跳ねて」を評価していて、一層「天空の絵描きたち」が読みたくてたまらない。今のところ単行本化されていないし、文学界2012年10月号に掲載されただけで近所の図書館では読めない。国会図書館か都立図書館にでも行ってこようかしらと思うほどである。一体、「盗作でもないし剽窃でもないが、ずるいことをしている」というのはどういうことなのだろうか。そしてその「天空の絵描きたち」を書かれた木村さん自身が、古市氏を擁護する立場にあるのである。自分が古市氏から取材を受けてお話したんだから、似たようなことが出てきても当然じゃない?と。だが、選考委員の言っていることはそういうことではなさそうだ。うまい事やりやがったな的な呆れとか軽蔑とか、そういうことのような。

このズルについてはこれ以上言及できないが(「天空の絵描きたち」を読んだらまた何か思いつくかもしれないが、今のところモヤモヤしかない)、最後に一つ余計なことを書いておこうと思う。「百の夜は跳ねて」の謝辞を述べる箇所(『妻に、そして投げ出しそうになった僕にいつも的確なアドバイスとおいしいコーヒーを届けてくれる友人ボブへ愛と感謝を込めて』みたいな、あのあれ)で、彼は自身がノルウェーに留学したことが自慢らしくてノルウェー語で書いてあって、そこにはずっこけた。こういうことをするから嫌われるし、性格がけち臭いんだよなあ。元を取らないと損!俺様がノルウェーに留学したことを知らしめないと損!という、ケチな性分がどうしても出てしまうのだろう。おまけに、アメリカとかイギリスとかフランスじゃなくて、ノルウェーってところがすごいんだよな!という自己顕示欲を押さえられないらしくて、こうまでしたいとは、本当に、おバカだなと思う。ノルウェーなんかまったく関係ない小説で、ご苦労なこった。もっと考えなければいけないことが他にあるだろうに。

古市氏は悪運が強いと思う。こんなことになっても、件の木村さんより本は売れて、テレビでお金を稼いで、偉そうなことを言える立場にいると思う。政治家と仲良くして国とか東京都の企画に乗っかって楽して金を稼ぐんだと思う。この手の中身はないけど悪運だけ強くて厚顔無恥な奴って、本当に無敵だ。うらやましい。ただ、今回のことで、ちょっと現在の日本の作家さんたちからは嫌われたようだね。それでも古市氏の面にションベンだと思うが。