結婚はニキビである。

テレビを見ていたら、こんな悩み相談があったという話をしていた。「結婚できない私は何か欠陥があるのかな」と。欠陥というワードだったかどうかは今となっては定かではないが、そういう意味の言葉であった。これを聞いた時、謙虚にしょんぼりしている風で、この相談者はすごい差別主義者であるということがわかり、恐怖した。つまりこの相談者は、結婚していない人を欠陥のある人間だと思っているのである。もしこの相談者が結婚したら、していない人を「あの人は欠陥があるんだわ」と評価するに他ならない。わたしは生まれてこの方、結婚していない人がカタワとか、まともじゃないとか、欠陥だと思ったことが一秒たりともない。結婚していてもまともじゃない人はいくらでもいるし(というか、立派な人なんてどこにもいない。ある意味、人は全員まともじゃない)、結婚はまともな人間かどうかのリトマス試験紙でもなければ、資格や能力がいるものでもないことぐらい知っている。そんなこと、みんな知っていることだ。なのにこの相談者、なぜこんなことを言ったのか。それは簡単だ。しおらしく、自分を卑下すればいい人だと思ってもらえると考えているからである。いい子ぶりっ子なだけで、いい子ではない。なぜなら、そこに差別意識があり、人をバカにする意図がありありと現れているからだ。「結婚できないあんたは欠陥人間だと言われました」ではないのである。彼女が、「私って結婚できないから欠陥があるのかな、なんつって、謙虚で素敵な私」と言っているのである。

こんなしょうもない、結婚しているしていないごときにクソのようなことでも人をバカにし、人を差別せずにはいられないのだから、この世からいじめや差別や、はてはジェノサイドがなくなるわけがない。この人はたまたま結婚を指針にしたが、学歴、職業、背の高さ、肌の色、ハゲているかどうかなどいくらでも言える。自分に有利な指針を示し、それから外れるものはまともじゃない、おかしい、異常者、クソ、死ね、といくらでも罵れるのだから、人の愚かさといじましさには絶望すら感じられる。

この相談者は、結婚したらしたで、夫の職業で「うちの家は異常なのかしら」としおらしい振りをしながら人を差別し(そんなことないよー、真面目に働いているならいいじゃーん待ち)、子供ができたできないでまた、被害者ぶる。子供ができたらその子供の学校の出来でまた悩んでいるふりをして差別を助長し、正当化し、自分は常に被害者という顔をするのだろう。それに自覚のないところが一番の恐怖だが、こういう人、少なくない。

だいたい結婚みたいなしょうもないことに何を値打ちをつけているんだろうかと、本当に不思議でならない。なんでそんなに結婚したいのか、わたしは理解に苦しむ。そして結婚したらなぜそんなに自慢なのか、それもわけがわからない。結婚したら途端に偉くなったかのようにふるまう人がいるので、本当に不思議である。結婚なんて、ニキビみたいなもんだ。できる人もいるが、できない人もいる。どっちがえらいとか劣っているとかではない。そして、できたらできたで鬱陶しい。できないとそれを気にすることなく生活を送れる、ただそれだけだろう。「あたしってニキビができないからまだ体が子供なのかしら?」、なんてもじもじしている乙女みたいなものなのか?ニキビのせいで恥をかくことも、汚らしい見かけになることもあるし、別にそんなことなく相変わらずきれいな人もいるので、だからどうだっていうほどのことじゃない。できたらできたでそのために対応策は一応あるが、みんなに効くわけでもなく、絶対これだ!というのもない。その時その時で最適な対応をするしかないし、そんな試行錯誤の繰り返しだ。うまくいくことも、いかないことも、うまくいかなさ過ぎて悪い方に悪い方に行くことも。静観していたら沈静化することも、しないことも。正解は1つじゃないし、正解はないかもしれないし。体質の問題だったりして、何が悪いということじゃないことも。

身近な人や、ネットの悩み相談室みたいなところに、「私はニキビができないので欠陥人間でしょうか」という悩み相談をしてみるといい。「なんだそれ、自慢か?」「ふざけてるの?」「何が問題なの?」という回答が寄せられるだろう。それが答えだ。「なんでニキビができないと欠陥人間なの?じゃあ、あなたはニキビがない人を欠陥だと思っているのね?」と言われたらなんと返す?だから、それが答えだって。